長崎県貿易協会上海代表処
東陶機器(中国)有限公司にて

 

《東陶機器(中国)有限公司にて》 《東陶機器(中国)有限公司にて》

1960年 2月 長崎市出身 42歳
1978年 長崎東高校卒業
1982年 長崎大学工学部機械工学科卒業
1984年 長崎大学大学院卒業後、東陶機器株式会社入社本社、茅ヶ崎商品研究所、東陶機器USA、本社(2回目)を経て、
1999年 1月 東陶機器(中国)有限公司に配属。現在に至る。
趣味:ゴルフ、テニス
家族:妻、長女、次男は共に上海で生活。高一の長男は日本で生活。

~東陶機器との出会いについて教えてください。
??????大学院で機械工学を研究していましたので、就職して商品開発を希望しました。しかし最初の配属はなぜか特許関係。ショックでしたね。というのは当時、特許部門は窓際で、先輩に「あんなところに配属されたのか?」と脅かされたからです。しかし、実はこの年から特許部門が重要視され、商品開発部のひとつとして組み込まれたことを知りほっとしました。結果的に特許部門にいけて良かったと思います。一般の新入社員の経験できない仕事にも携われましたし、その後電子制御設計課に異動となり、念願の商品開発を行えるようになりましたし。電子制御設計課に異動した頃は東陶機器も転換期で、今まで外注していた電気関係を自前で開発しようという時期でした。ですからとても楽しかったですね。一から事業を始めることができるなんて幸せじゃないですか。その後、1987年に会社創立70周年を記念して作られた、茅ヶ崎商品研究所の商品研究課に異動しました。この頃は良かったですね、バブル全盛期で(笑)。普通じゃ買えないような測定器を買ったり、無響室という特殊な部屋を作ったりと予算がたくさんあった。また、仕事内容も2歩も3歩も先の研究が行えて充実していました。
~アメリカとの出会いについて教えてください
??????90年に東陶機器USAが開業することになりました。社長と営業部長以外に、技術者が必要ということになり、私が勤務していた茅ヶ崎商品研究所に誰か技術者はいないか?と言う話が来ました。私の課の課長の席に所長が来て、アメリカに行く人材を捜しているという話を小耳に挟みました。課長の席が私の席の隣だったので良く聞こえたんです(笑)。そこで、所長が帰った後、課長に「アメリカに行きたい」とこっそり伝えました。もともと何事にもチャレンジしたいという性分なので、是非アメリカで様々な経験をしたいと考えたんです。その後、いろいろありましたが私が行けることになってしまいました(笑)。国際事業部で3ヶ月の研修の後、渡米しました。当時東陶機器の商品はアメリカでは殆ど使われていなくて、まさにゼロからのスタートでした。最初は代理店支援、その後営業所としての仕事に変化していきました。仕事はなんでもやりましたね。社長は50歳代、営業部長は40歳代、私は30そこそこでしたから私がやるしかない(笑)。新商品の検討、許認可関係、マニュアルの作成、クレーム対応と何から何まで。開発部門から離れて、何もかも初めての経験で新鮮な気持ちで仕事に取り組みました。とても勉強になりましたし、楽しかった。このときもまだバブル期でしたしね(笑)。
~中国との出会いについて教えてください。
??????アメリカから帰ってきて、水栓機器商品開発課という部署に配属されました。ここは蛇口などを開発する部署なんですが、これまた全く経験していない業務でしたので良い経験でした。実験レベルから始めて作り上げていく喜びを体験できました。また、アメリカでの経験を生かして、OEMのオファーなど海外とのやりとりもさせてもらいました。その部署で5年ほど勤務して、そろそろ違う業務をしたいと思っていたところに、上海で開発、設計のできる人間を捜しているという話が舞い込んできました。運がいいことに、事業部内の公募で、「私のために作られた仕事だ!」(笑)と思い、すぐに公募に名乗りを上げました。中国には拠点が北京、上海、大連とあるんですが、「上海」というところに惹かれました。大連じゃ行かなかったでしょうね。と言っても上海を良く知ってるわけではなく、イメージが良いという程度だったんですけど(笑)。ここでもチャレンジ精神が出てきたわけです。時期的にも、ちょうど水栓機器商品開発のビッグテーマが終了して、タイミングが良かったですし。

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